hiljainen viikonloppu 静かな週末
最近は自室のペーパーレス化を目指して、古い書類の整理、そして必要なものはスキャナー(skanneriあるいはkuvanlukija)を使っての保存に取り組んでいます。今週整理しているのが、北海道大学での授業記録。北大勤務で友人のTさんの多大な援助もあって、北大のフィンランド語非常勤講師を拝命したのが2006年。開始がずれ込んでいる2020年度の授業が始まれば、15年目ということになります。Aika lentää.「時間は飛ぶ」→「光陰矢の如し」です。
書類を整理しながら、印象に残る過去の学生のことを思い出したり、生徒の質問にどうやって答えようかと苦労している自分の姿を思い出して苦笑いしたりしています。最近は授業で使っていませんが、お蔵入りさせるには惜しい教材が出てきたりと、時にはうれしいこともあります。
そのような教材の中から加藤周一の詩「さくら横ちょう」とそのフィンランド語訳が出てきました。桜満開の首都圏は花見も自粛のようですが、数週間後の札幌はどうでしょう。札幌も花見自粛でしたら、下記の詩をご自分のレベルに合わせて鑑賞してください。タイトルの「さくら横ちょう」はKirsikka「桜」と Kuja「小路、小道」の2語で表現していますが、通常なら1語でKirsikkakujaでしょう。これなら、Espoo, Vaasaなどの町にも実在する通りの名前です。加藤周一の「さくら横ちょう」も東京の渋谷の下町にあった横丁で、この詩の石碑もあるとか。ではまず原詩から。
さくら横ちょう (1951) 加藤周一
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくらの横ちょう
想い出す 戀の昨日[きのう]
君はもうここにいないと
ああ いつも 花の女王
ほほえんだ夢のふるさと
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
會ひ見るの時はなからう
「その後どう」「しばらくねえ」と
言ったってはぢまらないと
心得て花でも見よう
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
戀は「恋」、會ひ見るは「会い見る」、はぢまらないとは「始まらないと」ですね。次にフィンランド語訳。残念ながら訳者不明なのですが、日本に派遣されたルーテル福音派のフィンランド人宣教師のどなたかの訳ではないかと推測しています。
Kirsikka Kuja (1951) san. Syuichi Kato
Kevään ilta kun kukkii kirsikkaa.
Paikka on täynnä kukkaa.
Muistan eilisen rakkauden.
Sinä et ole täällä.
Oi, ainainen kukkien kuningatar.
Hymyilevä unien kotikaupunki.
Kevään ilta kun kukkii kirsikkaa.
On täynnä kukkaa.
Enää emme tapaa
“Mitä kuuluu” “Pitkästä aikaa”
Sanomme turhaan,
katsokaamme vain kukkia.
Kevään ilta kun kukkii kirsikkaa.
On täynnä kukkaa.
今年の桜が散ったら、できるだけ早くお互い「會ひ見る」ことができることを祈っています。